人見知りママのための、90日で話し方が変わるブログ

極度の人見知りから、マイクを持つ仕事へ。40年の人見知りによる七転び人生からうまれた、オンラインでの話し方講座ブログです。

【声の話】低い声で悩む女性に読んでいただきたい

「声が低いのがコンプレックスです」

「自分の低い声が嫌いです」

 

自己紹介講座でそんなお悩みを話してくださった方、

一人二人ではありません。

 

でも、その悩みを持ったのはいつのことですか?

中学生や高校生のころではありませんでしたか?

 

 今日は、その「声が低い」ということについてです。

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高い声は元気さ、生命力。低い声は?

若いころは、

高い声のほうがなぜか

「可愛い」声と言われやすいみたい。

 だから、声の低さにコンプレックスを持っている人が

多いのだと思います。

 

でも、あなたは今いくつですか?

アラフォーになって

あまり高い声で話されると

聞いているこちらがしんどくなります。

 

高い声からは、

生命力や元気さが感じられるかもしれない。

でも、低い声からは

信頼性や安心感を感じられます。

 

 

ウグイス嬢は声が高い?

ウグイス嬢やってる人って、

高く澄んだ声をしているんだろうと思いませんか?

 

それ、違います。

 

私の声はかなりの低音。

お会いするとよく言われます。

「案外、声低いんですね」って。

 

で、エネルギッシュに活動しているようですが、

そもそも持っているエネルギー量はごくごく普通

(↑STR素質適応理論で導き出しております)。
ちょっとテンションを上げるとすぐ疲れちゃう。

だからわりと、

テンションも低め安定でいきたいタイプ。

 

ウグイス嬢ということをご存じないママ友からも

「かおりさん、見た目と声が違うよね~」

と言われることがあるので、

見た目も高い声を出しそうなイメージなんでしょうね。

 

 

でも、”ウグイス仕様”の声は

高めの裏声を使うんです。

(鍛えたからか、裏声に聞こえないらしいです)

それなりに歌唱力のある歌手でも、

あまり高いところは裏声になりますね。いわばアレです。

 

裏声を、もともと声の高い人がやると

キンキンとうるさく響いてしまうんです。

でも私はもとが低音なので、

裏声にするとちょうどよく響くらしい。

「聞きやすい、きれいな声」と言われるのは

このときの声です。

決して地声ではなく^^;

 

 低音コンプレックスが引き寄せたもの

とはいえ、声が低いのはすごくコンプレックスでした。

 しかも滑舌が悪い。

口の中でベロが怠慢してるな~っていつも思ってました。

声が低くて滑舌が悪いと、

なんとなく話すことに自信が持てません。

だからいつもボソボソ話してたし、

そんな話し方だと

なぜか前向きなことが言えないのです。

 

低い声で滑舌悪くボソボソと、

ネガティブなこと話してると…

印象良いわけないですね。

 

これ、大学時代の私です。

 

大学時代は試練の時でした。

なにも思った通りに進まず、結局中退だし。

振り返ると、

あの話し方と表情じゃ

運も寄ってこないよねーと思うわけです。

 

 低い声の長所

「自分の声は低いから…」

そんなコンプレックスをお持ちの方、

低いからダメって思ってません?

そんなこと、ぜったいにありませんから!

 

声の低い人とは、話してて疲れにくいんです。

癒されるんですよ。

特に私も40代後半に入ってくると感じます。

高い声の人とはあまり長時間話したくない。

疲れちゃうんです。

 

先日お会いした人たちと話したのですが、

「歳を重ねたら、声が低くなるよね」と。

それを「イヤだ」と思い、

「歳は取りたくない」と思っておられるような感じでした。

私の勘違いならごめんなさい。

 

でもね、声が低くなると人に安心感を与えられます。

大きく包み込むような感じになります。

癒されます。

そりゃまあ

低い声で病気の話されると落ち込みますよ???

でも、悩みを聞いてあげて、

「そうなんだね。つらいね。がんばってるね」と言ってあげると、

なんだか癒され安心できるのが、低い声。

 

 

 

この声で「頑張ってるな」と言われると、

包み込まれるような安心感でしょ?

あ、男性か。

 

自分の低い声。

学生時代は「可愛げがない」とコンプレックスでしたが、

もう、さほど「可愛げ」をアピールする年齢じゃありません。

特にウグイス嬢をするようになって

声を鍛え、響かせるようになってからは

この低い声でよかったな、と思うことが多いです。

 

つまり、低い声はウィークポイントじゃない

高い声が、生命力や元気の良さをイメージするのに対し

低い声は、落ち着きや包容力を感じます。

 

もしもその低い声にコンプレックスを感じているのなら

そのコンプレックスのせいで

ネガティブな話し方になっている可能性はあります。

 

問題は、声じゃない。

コンプレックスのほうです。

 

滑舌をよくするレッスンや

使う言葉を前向きなものにしていくことで

低い声の女性というのは

優しく温かく包み込んでくれる

大らかな安心感を与えることができます。

 

高い声にはない長所が

低い声にはあるんです。

 

 

 

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【私の目指す世界】かしこい女は、かわいく生きる。そして世界を優しく美しくする。

ずーっと書きたい書きたいと思っていて、なかなか書けずにいた想いがあります。
 
私ね、女性が賢くなれば、世界は変わると思ってるんです。
女性が世界を動かしてると思ってる。
いつからかな、26歳でコピーライターになったときには、すでにそんな想いは持っていました。だから20年越しの確信。
 
でも、この場合の”賢さ”っていうのは、バカになれる、弱みを見せられる、相手に花を持たせられる、という賢さのこと。
決して、ものごとを知っている、いろんなことが出来る、稼げる、という賢さではありません。
 
たとえいろいろ知っていても、多くのことが出来ても、驚くほど稼いでいても、それは横に置いておいて、相手に花を持たせることができる。
それが可能なのは、男性よりもずっと女性なのだろう、と思うんです。
そして女性がそれをしていけば、世の中はどんなに優しく美しくなるだろう、とワクワクするんです。
 
女性だから、できることがある。
って、本気で信じてるんですよね。
 

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「男は教えたいんだ」男性の承認欲求に触れた瞬間

こう感じる最初のきっかけになったのは、同級生(男)の言葉。
まだ二十歳そこそこだったと思います。
私は当時とても車に詳しく、車種や年式のことまで話していました。
そうするとその同級生がこう言いました。
「そういうのは、男は教えたいんだ」
 
当時の私は、教えたいならそれだけインプットして来たらいいのに、と思いました。
でも、その言葉がずーーーーっと引っかかってたんですね。
 
 
人は自己主張のかたまり。
それに承認欲求というのは誰にでもあります。
 
子どもを見ていたらとてもよく分かりますね。
幼稚園に顔を出すと、「〇〇ちゃんのおかーさん!」と我先に走ってきて、手に持っている絵を見せ「これ描いた!」「サッカー習ってる!」「英語話せる!」「妹がうまれた!」と、聞いてもいないのにアピールしてきます。
 
さすがに大人になってこれをする人はほぼいませんが、やり方が巧妙に(ある意味姑息に)なっただけで、承認欲求を持っていない人はいません。
 
 

女性は承認欲求を横に置ける

ここで、自分の承認欲求を横に置き、相手の承認欲求をまず受け入れてあげられるかどうか。
それが、女性が賢いか賢くないかの分かれ目です。
 
男性は結果重視の方が多く、結果を評価されることで自分を確かめ認めていくところがあります。
先の同級生の言葉は、まさにこれを象徴しています。
 
だから男性にとっては、他人の承認欲求を受け入れるというのはハードルが高い。
でも女性は、自分をちょっと横に置けます。
育児中のママなんか、ほんとにそうです。
ちょっとどころか、自分のことなんか丸めて天袋の奥に押し込まないと、まる9か月お腹で育てた赤ちゃんが、この世で育ってくれないんです。
 
社会全体でも事務職って女性が多いです。
事務職って営業やクリエイティブと違って”何をやったか”が見えにくい仕事
つまり、自分の結果よりも全体がうまく回るように縁の下の力持ち的な仕事です。
それを柔らかく優しくできるのも、男性よりは女性だと思うんです。
 
少し話が逸れますが、お茶くみを嫌がる女性もいるらしいですね。
私は、自分がお客の立場だったとしたら、お茶は男性より女性に持ってきていただきたいです。
その場がふわりと優しく華やかになる。
でも、あまり主張は感じない…そんな気がします。
 
私のライフワークであるウグイス嬢やMCも、自己主張をしないことが求められます。
ウグイス嬢に求められているのは、自分が目立つことではありません。
誰がやってるか分からないし知られる必要もないけれど、場に華やかさと優しさを与えつつ必要な情報をお伝えすること。
MCだと、さらにビジュアルまでも場に添える華やかさが必要です。
でも、主張してはいけない。
自分のことは横に置いておいて、”場”そのものや場の主役、クライアント様をよりよく見せるための存在です。
 
これは、話し方や会話術でいうところの「聴く」ということにも繋がります。
人の話していることを聴く。しっかり聴くことは、主役を一旦相手に譲り渡すことでもあります。
自分のことも話しますが、それは相手の話の呼び水として、ということも私は多いです。
 
毎日じゃなくていいんです。
でも、ポイントポイントで、こういう「自分をちょっと横に置く」ことが出来る女性が増えると、男性は俄然張り切ってイキイキするんじゃないかと思うんです。
 

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我慢ではなく、相手を信じて踏んばるチカラ

だからといって、女性が常に我慢しましょう、男性を立てましょう、と言っているのではないです。
 
我慢って、「我が慢心する」と書きます。
我慢は、慢心なんです。
 
つまり、「どうせ言っても分からない」と相手をバカにしている行為。
「言っても分からんから、できる私がやる」わけ。
相手より、自分のほうが上なんです。
だから、「我慢」=「慢心」。
 
私自身、この「我慢」の表す漢字の意味が長年分からなかったのは、「我慢は美徳」という日本的で不思議で根強い思い込みから。
美しいのは、先のビジョンを見据えた忍耐や踏んばるチカラであり、決して我慢ではない、はずです。
 
 
男性と同じ土俵に立つ必要はないんです。
そもそも役割もできることも、脳の作りも違うから。
だから考え方だって全く違う。
 
そして女性は”産み出す”性です。
それは例えば、出産経験があるないの話ではなく、そもそもそういうふうに創られていると感じます。
 
男性の「認めてほしい」をうまく引き出し
”いいオトコ”を産み出すのも、女性の力じゃないのかなぁ?
そして、それをできる女性が増えれば
もっとずっと優しく豊かで美しい世界になるんじゃないのかなぁ?
 
私はいつも、そう思っているんです。
 
 
 
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自分の言葉のクセを知ることで、考え方のクセを知ることもできます。
それが分かれば、パートナーとの関係がよりよくなる方法も
だんだん分かってくるはずだ、と思うんです。
 
そこまで行くには、3ヵ月じゃ足りないとは思いますが…
 
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【人見知りママの会話術】”うなずき””あいづち”の、うまいやり方、ヘタなやり方

昨日のブログで、”うなずき””あいづち”をうまく利用しよう、とお伝えしました。

 

kaori-voice.hateblo.jp

 ここで提案した『三位一体うなずき作戦』、昨日はちょっとした電話でも活用しようと頭をよぎりました♪

あまりに電話が短くて活用に至らず^^;

 

今日は、その”うなずき””あいづち”の具体的なやり方をご紹介しますね!

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うなずき、あいづちの意味

齋藤孝さんの著書『大人のための会話の全技術』に、こんな記述があります。

うなずくという行為も、「あなたの話をしっかり聞いていますよ」というサインです。

その中には「同意・同調する」という意味合いも含まれますが、それは絶対的なものではありません。

仮に相手の意見に同調していない場合でも、「あなたの人格に対して肯定的な姿勢を示しているのですよ」ということ、つまり敵対しているわけではないことを伝える意味合いがあります。

またうなずきには、「相手の言葉を咀嚼して消化している」というイメージを醸し出す効果もあります。それが相手の自分に対する信頼感を産み、もっと近づきたいという気持ちにつながっていきます。

あいづちもそうですが、何もその意見に同調するのでなくとも、「聞いてるよ」と伝える意味もあるんですね。

 

人見知りさんは、純粋でまっすぐな方も多いので、うなずいたり「うん」「そうだね」と肯定的なあいづちを打つと、「相手の意見に賛成、という意味になってしまわないかな?」と思ってしまうかも。

でも、それはあまり気にしないでいいです。

うなずきやあいづちは、相手を話しやすくするための潤滑油。相手の話を引き出して、その後の話をスムーズにするためのものです。

 

もしも「あのとき『うん』って言ったじゃない」と言われたら、

私なら「そういう考え方もあるな、って思ったんだよ」「あなたの考え方を一生懸命理解しようとしてたの」と伝えます。

もっとも、話し方や伝え方伝わり方の全体像が見えてくると、こういった誤解は生まれにくくなりますが。

 

うなずくときの表情のポイント

そういえば私がうなずくとき、気をつけていること。

  1. まゆ毛を上げ過ぎない。
  2. 目も丸く大きく開けすぎない。
  3. 軽く微笑む。
  4. 話し手の目を見る(フリをする)→それっぽければOK。ここ参照

 

まゆ毛を大きく上げたり、目を丸く大きく開けたりすると

いわゆる『びっくり顔』になります。

 

たまにはいいですよ。

 

でも、いつもこの顔でうなずくと、ふざけてるみたいに見えてしまう。

「あなたの話が面白くて、とても驚いています」

というメッセージになることもありますが、本当に驚くほどとびきりの情報が出てきた時のために、この『びっくり顔』は隠し玉として取っておいたほうが無難。

 

目をしっかり見るのは人見知りさんにはハードル高いし、びっくり顔でガン見されたら話し手もちょっとひるみます。

だから、自分の右目で相手の右目を見る”ちょっぴり視線クロス法”(今命名)や相手のまつ毛を数える”まつ毛カウント法”など、相手が「あー、この人優しく私を見つめてくれてるな💛」と感じるような視線の送り方をします。

 

三位一体うなずき作戦に、この4つに気をつけた表情を加えると、より感じのいいうなずきになりますよ^^

 

嫌われるあいづちもある

アナウンサー魚住りえさんの書かれた記事を見つけました。

toyokeizai.net

魚住りえさん、こんなふうに言っておられます。

【5つのダメなあいづち】
・「はい、はい、はい」と「はい」を連発する
・「たしかに」「なるほどですね」を連発する
・あいづちが毎度「大げさ」すぎる
・「相手の話にかぶせて」あいづちを打つ
・あいづちに「変な笑い」を入れる

 

確かに、私も夫にいい加減なあいづちをされるとイラっとします。

私「ね、この間の飲み会のことなんだけどさ」

夫「あー、はいはいはい」

私「やっぱり行きたいんだよね」

夫「うん、なるほどなるほど、はいはい」

私「よかった、じゃぁ今度の土曜日、子どもたちのことお願いね。」

夫「え!?なんで?」

 

聞いてないんじゃん!

 

ってことは、夫婦間ではよくある話ですよね。

 

聞いてないのに聞いてるフリだけ、な軽薄なあいづちは嫌われますし、トラブルの原因にもなりかねません。

 

ちなみにこんなふうに夫が軽薄なあいづちで考えもしないままOK出した飲み会なら

私は行っちゃいます。

「え、いいって言ったよね」って。

もちろん、たった一回の話でそんなふうにゴリ押しはしませんが、

ここで「やっぱりダメだった」と諦めては

夫の軽薄なあいづちを受け入れることになってしまう。

それでは、また同じ不愉快を何度も何度も繰り返すことになってしまうから。

 

 

会話の潤滑油であるはずのあいづちが、「もうこの人には話したくない…」となってしまわないように。

 

”うなずき””あいづち”をうまく活用したら、人見知りさんもコミュニケーションがスムーズになりますよ!

 

 

 

 

 

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【人見知りママの会話術】”うなずき””あいづち”をうまく利用しよう

近ごろTwitterにハマっていまして。

 

いつも私が刺激をもらっている方のツイートに

こんなのがありました。

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人との会話を弾ませるコツ。

小さなうなずき3回、

そのあと大きなうなずき1回。

この繰り返しよ💛

 

💛が多いのは、オネエキャラを設定しておられるからです^^

決して本当のオネエではない様子(知らないけど)。

 

 

行動心理学では、

”うなずき”や”あいづち”は話を聞いているサインだとか。

 

”うなずき”は、首をタテに動かすだけ。

”あいづち”は、「うん」「はい」「なるほど」といった短い言葉。

 

どちらも相手に「あなたの話を聴いていますよ」というメッセージの意味があります。

 

 

人見知りさんの中には、

特に初対面や知り合って日が浅い人とのコミュニケーションだと、

緊張して動きが止まってしまう人も見受けられます。

実は私もそうなのですが

相手の話をちゃんと聞いて、何か言わなきゃ!

聞きもらしてトンチンカンな反応したらどうしよう…

と、妙なプレッシャーを感じてしまい、

堅い表情で微動だにせず聞いている、なんてことがありました。

 

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でも、それだと相手は話しにくいみたい。

それに気づいたのは、自分が話す側になったときです。

 

現在こうして自己紹介講座などで

話し方のことをお伝えすることが多いのですが

受講生さんの中には、まれに目を見開いてじっと動かずに聞いてくださる方が。

一生懸命聞いてくださっているのでしょうけれど

あまりに動かず声も出ないと、案外話しにくいんですね^^

 

そういうときは、私のほうで

「…できそうですか?」ってブレイクを入れたりします。

 

そうすると、ハッとわれに返って「あ、はい」って笑ってくださり、

そのあとの話がしやすくなるんですね。

 

こんなことがあってから、聞き漏らすまいと力むよりは

少し深呼吸して肩の力を抜き、

笑顔の”うなずき”と”あいづち”を心がけるようになりました。

そのほうが、話し手は話しやすいんですよね。

 

 

その”うなずき”も、あまりに毎回大きくうなずいていると

逆に「…ちゃんと聞いてる?」って思えてきちゃう。

毎回小さくてもそう。

 

”あいづち”もそうです。

なにを言っても「なるほど」だと、

「なにがなるほどやねん!」

とツッコみたくなります。

 

どんな雑談でも話のポイントや強弱ってあるので、

毎回同じだと、「…聞いてる?」って疑心暗鬼になってしまいますね。

 

 

そこで冒頭の

小さなうなずき3回、大きなうなずき1回作戦。

 

これに、大きなうなずき3回につき1回、

「なるほど」とか「そうなんだ」とか声を出したらどうだろう?

  

その場の雰囲気に合わせて、臨機応変に対応ができれば

それがいちばんいいに決まっています。

 

でも、人見知りさんはただ話をするだけで緊張するから

臨機応変な”うなずき””あいづち”って難しいときがありますね。

だから、とりあえずこの作戦に決めてしまう!

 

 

小さなうなずき3回、

大きなうなずき1回。

大きなうなずき3回目で「うん」「なるほど」とあいづち。

題して『三位一体うなずき作戦』

三位一体にあまり意味はない。

これ、私もやってみてまたレポします。

 

あなたも、ぜひやってみてコメントくださるとうれしいです!

 

 

 

 

 

 

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【コミュニケーションの基本】「なんちゃらかんちゃら」禁止令を敢行しました

 

f:id:kanau-note:20181128115432j:plain小6娘の口ぐせ 
小6の長女は、ADHD気味も手伝ってか、とてもめんどくさがり屋。
私とそっくりです^^;
 
彼女が話をしだすと
「お母さん、国語の教科書に、主語がなんちゃらかんちゃらって書いてあったんだけど、どういう意味かな?」
「こないだ友達が、なんちゃらかんちゃら言ってたんだよ。ふだんそんなこと言う子じゃないのにさ」
といった具合に、「なんちゃらかんちゃら」がやたら出てきます。
 
 
 
「国語の教科書に、主語はなんちゃらかんちゃらって書いてあったんだけど、どういう意味かな?」
 
と聞かれて、あなた答えられます?
 
私はあまり教育熱心なママではない(←控えめな表現)ので、国語の教科書を見ることはほとんどありません。
今、どの単元を学んでいるのかも知らない。
ましてその日の国語でどのページを学び、そこに主語に関するどんな記述があったのか、知る由もありません。
 
それを「なんちゃらかんちゃら」で表現し、理解しろってのは土台ムリな話。
 
なんちゃらかんちゃらで分かるかー!」
「あのさ、もっとはっきり言葉にしてくれる?」
と、たびたび言ってきましたが、これが治りません。
 
「なんちゃらかんちゃら」禁止令
というわけで一昨日のこと。
またも「お母さん、友達がなんちゃらかんちゃら言ってたんだけどね…」
と話しだしたので
「『なんちゃらかんちゃら』禁止!」
とバシッと言ってやりました。
少し厳しい表情と口調だったようで、ハッとした表情をした娘は
「友達が、なんか言ってたんだけどね」とすぐに言いなおしました。
 
でもちょっと待て。
「なんちゃらかんちゃら」→「なんか」
変わらんやないか―い!
 
で、「『なんか』も禁止!具体的に言いなさい」
と改めて。
 
そうしたら、「クラブの時間に、友達がケーキを作りたいと言ったんだけどね…」と、具体的に話し始めました。
 
「うん、それで?」と会話を進めると、
ホッとしたような表情で「お母さん、怒ってるかと思った」って。
 
 

いや、一瞬怒ったよ?

 
こちとら忙しいのに、「なんちゃらかんちゃら」で雑に話されたら、その時の娘の状況、お友達の状況、そのときなんの話をしていたのか、どんな性格の子なのか、なんの時間なのかをすべて推測して頭フル回転させないと答えられない。
いや、どんなに優秀な脳みそをもってしても、「なんちゃらかんちゃら」で済まされたら、明確な答えなど出せません!
 
答えが必要ない場合もあります。
ただ聞いてほしいだけのことが。
 
そうだとしても、「なんちゃらかんちゃら」と雑にまとめられてしまうと、彼女の気持ちがさっぱり分からない。
 
話をするときは、たとえ片手間で聞いていても、彼女がどういう状況でどんな反応をするのか、娘の感性を知る機会でもあると思っているんです。

だから、「なんちゃらかんちゃらあってね」じゃ、なんも分からん!
そんなん、お互い時間のムダやんけ!

だからイラっとしたのだよ!
 
 
その日から『なんちゃらかんちゃら』禁止令を発動しました。
具体的に話すクセをつけなさい、と。
 
 
 人生100年時代のコミュニケーションを見据えて
さてさて、ここまで読んで、
ただ私が少しでもストレスなく娘と話をするための禁止令
だと思った方、いらっしゃいます?
いえいえ、もっと深い意味があるんです。
 
大人になって思いませんか?
分かっているようで分かってないこと。
言ったつもりで言ってないこと。
言ったのに伝わってないこと。
分かってるだろうと思ってたのに、相手は分かってなかったこと。
そういうのって、驚くほど多い!
 
日本語は省略できる言語です。外国語はどーか知りませんが。
 
「オイ、お茶」
「飯」
「風呂」
 
の三語で通じる亭主関白の時代はとうの昔に終わりましたが、
それでも日本人というのはものごとをはっきり言うのを避けます。
ぼかした表現や語尾まで言わない表現方法を好みます。
 
 
わびさびの文化が根付いているからでしょう。
これはこれで美しいことでもある。
 
ただね、これだけ情報が氾濫し、価値観も多様化している世界。
 
その中で、前後ののすり合わせもなく
「分かっているだろう」「伝わってるだろう」と思うのは、もう傲慢の域です。
 
なんちゃらかんちゃら」を許していたら、いずれ彼女は
「話って通じないんだ」「気持ちって伝わらないんだ」と勘違いする。
それは、本人が伝える努力をしていないだけなのに。
 
なんちゃらかんちゃら」で表現するのは、本人の怠慢です。
自分が目にしたものを、伝えたいことを、言葉にするということをやってない。
 
 
自分の気持ちや状況をきちんと言葉で表現することは、
特にSNSやブログが発達した現代ではなくてはならない能力です。
 
なのに、日本人の根っこに「空気を読む」文化があり、
さらに女性は「察する」ことが得意だし、求められる。
こうして、言葉にする習慣がないまま大人になっていくわけです。
 
親は、一生懸命子どものことを理解しようとします。
娘が「なんちゃらかんちゃら」を多発して話しても、
先回りして教科書を下読みし、友達のことをしっかり聞いていたら
分かるかもしれない(しないけど)。
でも、親ってほとんどの人にとって二人だけです。
なんちゃらかんちゃら」で伝えても理解しようとするのは、
100年の人生を通して、世界中にたった二人なわけです。
 
人生で関わっていくのが二人だけ、という人間を、私は見たことがありません。
 
この一週間、私がリアルでコミュニケーションした人たちは、
ゆうに30人を超えます。
SNSや電話等も含めると、関わった人は100人ほどになるでしょう。
 
たった一週間を切り取ってみても、
2人しかいない親のウン10倍もの人数の人と関わるんです。
 
このほとんどの人たちが、
私の状況を親や家族ほどは知らないし、考えようともしない。
まして私の価値観など知らないわけです。
 

お互いにほとんど知らない人たちとコミュニケーションしていくのに、
言葉にしないでどうやって伝えるの!?

 
 
娘が育っていく先には、多くの彼女を知らない人たちがいます。
その人たちともコミュニケーションしていく必要があります。
 
その時になって「伝わらない」「話ができない」と泣かなくていいように。
いえ、必ず泣くことはあると思うのだけれども、
少なくとも「なんちゃらかんちゃらでね」と表現して
「伝わらない」と泣くことがないように。
きちんと言葉でコミュニケーションする練習を、
そろそろ始めてもいい頃だと思ったんです。
 
 
たとえば「なんちゃらかんちゃら」「なんか」を禁止して、
具体的に言葉にしても、すぐに伝わるわけではありません。
それも分かった上で、
コミュニケーションというのは、丁寧に、何度も伝えていくことが必要なんだ、
時間のかかるものなのだ、
というのを、思春期に差し掛かった長女に伝えていきたい。
体に染み込ませていきたいです。
 
 
以前の私は、とてもコミュニケーション下手。
人を傷つけ、信頼を失ってきたことも多々。
今からもあるのでしょうけれども…
 
それでも、今自分のコミュニケーションが円滑に回り出した、と実感するのは、
自分が何を感じているのか、ということを丁寧に言葉にしているからです。
そして、相手に合わせて言い方や言葉を変え、
伝える工夫、伝わる工夫をしているから、だと思います。
 
もともと雑なコミュニケーションをしていて
「私のこと分かる人なんて少ないから」と斜に構えていた頃は、
何を言っても伝わりませんでした。
 今は、日ごろから丁寧に言葉を紡いでいるからか、人が耳を傾けてくれます。
伝わらない寂しさと、伝わる喜びを、良く知っているのも私。
 
娘にも、”伝わる”喜びを知ってもらうために、言葉にする練習を。
そのための、「『なんちゃらかんちゃら』禁止令」なのです。
 
 
追伸:
それにしても…今回「なんちゃらかんちゃら」を全て赤の太字にしてみましたが
ウザいですね。
たぶん、親として娘への抵抗です。娘はこれ読まないんだけどな。
 
 
 

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【育児の言葉の使い方】二重否定、実はコントロールです。

 

二重否定話法って日ごろからよくやってるけど、それって受け入れられないよ、という話を昨日しました。

kaori-voice.hateblo.jp

二重否定話法がなぜ嫌われるかというと、相手をコントロールするためのまどろっこしい話し方だから。

 

 

私もママだから毎日実感してます。
ほんと、子どもっていうこと聞かないし、出掛ける時間になっておもちゃで遊び始めるし、腹立ちますよね。
イライラして何度かゴミ箱蹴飛ばしましたよ。この辺りの醜態は、恥ずかしいからメルマガでお伝えしようかな^^;

 

でも、コントロールはいけません。
二重否定は、あなたが気付いていないだけでコントロールしようとしている言い方です。

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あなたもそうだと思いますが、指図されるのは嫌いなのでは?
自分で片づけようとしたところに、「片付けてよ」と言われたら、たった今立ち上がろうとしていたのに「もうしない!」と苛立つことないですか?
それ、その言葉を指図=コントロールと感じたからです。

「片付けてよ」は、ストレートに指図ですが、「片づけないと遊べない」という二重否定は、なんとなく「あなたのためを思って」って言い方を理解ある人っぽくしただけで、むしろ小ズルさまで感じます
言われた方は、自分がそのあとで遊べるように言ってくれてるんだ!とはならず、なんだかスッキリしない言われ方だなぁ…って思う。
その「小ズルさ」まではっきり感じることができる人は少ないのだけど、でもモヤモヤと感じているわけです。
だから、伝わらない。

自分は子どもにどうしてほしいのか、その子は言われてすぐ動く性格なのか、そういうのも考えあわせて、言葉を選ぶ必要があります。

うちの娘は…というか、ほとんどの人がそうだと思いますが、人から指図されることを嫌います。自分の意志で動きたい。(人から指図されるのなんともない、という人は、思考停止を疑ったほうがいいです。あなたの意志はどこにあるのか、きちんと向き合ってみたほうがいい)。

「片づけないと遊べないよ」というのは、片づけることも遊ぶことも、自分の意志ではないように感じませんか?それに、そもそも言っている親の側の「子どもは遊びたいもの」という思い込みがある。
少し知恵がついてくると「別に遊びたくないからいいやー」って返されて、

あなたは「優しく言ってれば調子に乗って!あなたが遊べるように言ってあげてるのに!遊ぶか遊ばないかはどっちでもいいのよ!早く片付けなさいよ!」って逆切れするかもしれない(←コレ私^^;)。
逆切れする、ってことは、自分の中に自分を守ろう、相手をコントロールしよう、というよこしまな気持ちがあったということです。(あぁ、耳が痛い)

ただ片づけてほしいなら、ストレートに「片付けて」「ママ、こんな部屋じゃ気持ち悪いから」「一緒に片付けよう」と自分の気持ちを言って行動を見せたほうが伝わります
少なくとも、これはコントロールではありません。


それが積み重なっていくと、お子さんからの信用度が全く違ってくる

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私は自分が片づけたくないから子どもにさせたいんです(どんだけズボラ)。
だから正直に「お母さん、片づけたくないから」って言っちゃいます。

思春期に差し掛かった長女は呆れ顔で
「お母さん、自分でやりたくないだけじゃん」と言いながら片づけてたりします^^;
でもそれは、自発的に動いてる。
「お母さんがやらないから」という理由があったにせよ、彼女は自分の意志で動いているので、
「コントロールされた」モヤモヤよりは「仕方ないからやってあげてる」という気持ちが大きいと思います。
「仕方ないからやってあげてる」というのは、人には必ずある貢献欲を満たします。


少なくとも支配関係ではないですね。


そんなふうに言ってたとえば片づけてくれなくても、

「お母さんやりたくないのに~」ってブツブツ言いながら私がやったり、虫の居所によっては「もう!片づけてって言ったのに!」と逆ギレすることもありますが^^。

たぶんこのときは娘たち、「お母さんってワガママだわぁ…」って思ってるんだろうな。

それは、「片づけないと遊べないよ」という二重否定で「片づけずに遊べないとしても、あなたが悪いのよ」的な感じとは違って、悪いのは「ワガママなお母さん」。

子どもたちに罪悪感を植え付けずに済みます。

この罪悪感ってのが曲者ですね。これに関してはいずれまたお話します。

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二重否定話法は、とにかくまどろっこしい。
聞きづらい。
モヤモヤする。

 

もっとシンプルに話してみませんか?
シンプルに話すことで、自分の気持ちもスッキリしてくるかもしれません。
人って、案外自分の言葉に自分自身が影響されているんですよ。




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【育児の言葉の使い方】二重否定はモヤっとする。次女のおかげで知りました。

さてさて、【人見知りママの会話術】を約1か月続けてきました。

だいぶ技術的なことはお伝え出来てきたように思います。

もちろん、まだまだお伝えすべきことはありますが、そろそろ”言葉”に関する心構えの部分にも踏み込んでいきたいと思います。

 

このブログをお読みいただいているのは、ほとんどがママさんだと思います。

 

初心者ママさんか、ベテランママさんかはわかりませんが、

いずれにせよお子さんとのコミュニケーションもある、ということですよね。

 

そういった育児の現場で使える”言葉への心構え”=マインドセットのようなところをお話しますね。

育児の現場ですぐに活かせますし、実生活でも即活かせる考え方が多くあると思います。ぜひ参考にしてみてください。

 

 

今日は『二重否定』のお話。

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二重否定、ってあなたはしたことがありますか?

言葉だけ聞くと、
「そんなヤな感じのこと、やってないし」と思うのでは?


でも、よく聞いてると、
ほとんどの人が二重否定話法で話してます。


「ご飯食べないと大きくならないよ」

「幼稚園いかないと友達できないよ」

「練習しないと上手にならないよ」

…心当たりあります?

多分ふだんからよく使うと思います。全て、二重否定話法です。



これって実は、人の不安を煽る方法。
場合によっては脅しともとれるような話し方。



ちょっと言い換えてみましょう。

「ご飯食べると大きくなるよ」

「幼稚園行ったら、友達できるかもね!」

「練習したらもっと上手になれるかも」

なんか、先が明るいような気がしませんか?


そして、
二重否定だとやらされる感があるのに対し、否定語をなくすと
やるもやらないも自分の意思で、
のような気がしません?

 

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けっこうみんな、二重否定話法を日常的に使っています。

否定語が多いと人に言葉が届きにくいんですね。

 

「ごはん食べないと大きくならないよ」

こんなふうに一文の中に2回もあれば、そりゃ反発したくなります。

 

 

これに最初に気づいたのは、次女育児中。
とにかく頑固な次女は、

例えば本人は右足から靴を履きたいのに、
私が急いで左足から履かせただけで、30分泣き叫ぶ子でした。

どうなだめても、声が枯れるまで泣き止まない。

テコでもその場から動かない。
自分がなぜ泣いてたのか分からなくなるまで
汗だくになって全力で泣き続けます。

急いでいたのに、外出そのものを断念したことも一度や二度ではありません。


そんな頑固な次女(2歳)に、
「急いでるんだから仕方ないじゃない!」
なんて理屈は通じません。

子どもとはいえ、全身を精一杯使っての大泣き。

30分もあの泣き声を狭い室内で聞かされると、こちらも気が狂いそうになります。


ならばどうしたらいいんだろう、と考えたんです。

※当時すでに44歳。
 体力では勝負できなくなってました。

 泣き疲れたら寝ればいい2歳児を真正面から迎え撃てば
 疲れ果てて倒れてしまいそうだったんです。


条件は3つ。

・決定権は次女。
・次女の意思を尊重する。
・私が次女に“やってほしいこと”を言葉にする。

やってほしいことを言葉にするので、
たとえば

 

「靴を履かないと、出かけられないよ」では、
やってほしいことが
「靴を履かない」ことと
「出かけない」こと
になってしまう。


それは違うんです。


「靴を履いたら出かけられる」んです。


靴を履いて出かける、と言いたいのに、
「靴を履かないと出かけられないよ」とは、
ちょっとまどろっこしいと思いません?


「靴を履いて出かけよう♪」と、
この表現方法を

まず自分の中でシンプル化しました。


でも、それでは次女に選択権がない
次女が出かけたくない場合は困っちゃうわけです。


なので、苦肉の策。

出かけるのはもう決定項だから問いにはせず、

「お靴、自分で履く?
 それともお母さんが履かせてあげようか?」

と尋ねるようにしました。

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これだと、どちらにせよ“靴を履く”という目的は果たされ、
でも次女の意思を尊重し、彼女に決定権があります。

微妙に論点をズラしたんですね。


ほかにも、
赤い靴と青い靴、どっちを履く?
とか
ドアはお母さんが開ける?自分で開ける?
とか

どちらにしても
「靴を履いて出かける」のは変わらないけれども
何かしら選択肢を与え、自分で決めさせることで、
次女は満足して泣き叫ぶことが激減しました。


結局、出かけたくなくて泣いているのではない。
自分の意思が尊重されなくて泣いているんです

 

 これがわかったとき、私の中でぱぁっと霧が晴れたように感じました。

 

 

二重否定。

 

やっていないつもりでも、それはそれは多くのシーンでやっています。

ぜひ、自分の話し方を意識して、今日から止めてみてくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

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