人見知りママのための、90日で話し方が変わるブログ

極度の人見知りから、マイクを持つ仕事へ。40年の人見知りによる七転び人生からうまれた、オンラインでの話し方講座ブログです。

【コミュニケーションの基本】「なんちゃらかんちゃら」禁止令を敢行しました

 

f:id:kanau-note:20181128115432j:plain小6娘の口ぐせ 
小6の長女は、ADHD気味も手伝ってか、とてもめんどくさがり屋。
私とそっくりです^^;
 
彼女が話をしだすと
「お母さん、国語の教科書に、主語がなんちゃらかんちゃらって書いてあったんだけど、どういう意味かな?」
「こないだ友達が、なんちゃらかんちゃら言ってたんだよ。ふだんそんなこと言う子じゃないのにさ」
といった具合に、「なんちゃらかんちゃら」がやたら出てきます。
 
 
 
「国語の教科書に、主語はなんちゃらかんちゃらって書いてあったんだけど、どういう意味かな?」
 
と聞かれて、あなた答えられます?
 
私はあまり教育熱心なママではない(←控えめな表現)ので、国語の教科書を見ることはほとんどありません。
今、どの単元を学んでいるのかも知らない。
ましてその日の国語でどのページを学び、そこに主語に関するどんな記述があったのか、知る由もありません。
 
それを「なんちゃらかんちゃら」で表現し、理解しろってのは土台ムリな話。
 
なんちゃらかんちゃらで分かるかー!」
「あのさ、もっとはっきり言葉にしてくれる?」
と、たびたび言ってきましたが、これが治りません。
 
「なんちゃらかんちゃら」禁止令
というわけで一昨日のこと。
またも「お母さん、友達がなんちゃらかんちゃら言ってたんだけどね…」
と話しだしたので
「『なんちゃらかんちゃら』禁止!」
とバシッと言ってやりました。
少し厳しい表情と口調だったようで、ハッとした表情をした娘は
「友達が、なんか言ってたんだけどね」とすぐに言いなおしました。
 
でもちょっと待て。
「なんちゃらかんちゃら」→「なんか」
変わらんやないか―い!
 
で、「『なんか』も禁止!具体的に言いなさい」
と改めて。
 
そうしたら、「クラブの時間に、友達がケーキを作りたいと言ったんだけどね…」と、具体的に話し始めました。
 
「うん、それで?」と会話を進めると、
ホッとしたような表情で「お母さん、怒ってるかと思った」って。
 
 

いや、一瞬怒ったよ?

 
こちとら忙しいのに、「なんちゃらかんちゃら」で雑に話されたら、その時の娘の状況、お友達の状況、そのときなんの話をしていたのか、どんな性格の子なのか、なんの時間なのかをすべて推測して頭フル回転させないと答えられない。
いや、どんなに優秀な脳みそをもってしても、「なんちゃらかんちゃら」で済まされたら、明確な答えなど出せません!
 
答えが必要ない場合もあります。
ただ聞いてほしいだけのことが。
 
そうだとしても、「なんちゃらかんちゃら」と雑にまとめられてしまうと、彼女の気持ちがさっぱり分からない。
 
話をするときは、たとえ片手間で聞いていても、彼女がどういう状況でどんな反応をするのか、娘の感性を知る機会でもあると思っているんです。

だから、「なんちゃらかんちゃらあってね」じゃ、なんも分からん!
そんなん、お互い時間のムダやんけ!

だからイラっとしたのだよ!
 
 
その日から『なんちゃらかんちゃら』禁止令を発動しました。
具体的に話すクセをつけなさい、と。
 
 
 人生100年時代のコミュニケーションを見据えて
さてさて、ここまで読んで、
ただ私が少しでもストレスなく娘と話をするための禁止令
だと思った方、いらっしゃいます?
いえいえ、もっと深い意味があるんです。
 
大人になって思いませんか?
分かっているようで分かってないこと。
言ったつもりで言ってないこと。
言ったのに伝わってないこと。
分かってるだろうと思ってたのに、相手は分かってなかったこと。
そういうのって、驚くほど多い!
 
日本語は省略できる言語です。外国語はどーか知りませんが。
 
「オイ、お茶」
「飯」
「風呂」
 
の三語で通じる亭主関白の時代はとうの昔に終わりましたが、
それでも日本人というのはものごとをはっきり言うのを避けます。
ぼかした表現や語尾まで言わない表現方法を好みます。
 
 
わびさびの文化が根付いているからでしょう。
これはこれで美しいことでもある。
 
ただね、これだけ情報が氾濫し、価値観も多様化している世界。
 
その中で、前後ののすり合わせもなく
「分かっているだろう」「伝わってるだろう」と思うのは、もう傲慢の域です。
 
なんちゃらかんちゃら」を許していたら、いずれ彼女は
「話って通じないんだ」「気持ちって伝わらないんだ」と勘違いする。
それは、本人が伝える努力をしていないだけなのに。
 
なんちゃらかんちゃら」で表現するのは、本人の怠慢です。
自分が目にしたものを、伝えたいことを、言葉にするということをやってない。
 
 
自分の気持ちや状況をきちんと言葉で表現することは、
特にSNSやブログが発達した現代ではなくてはならない能力です。
 
なのに、日本人の根っこに「空気を読む」文化があり、
さらに女性は「察する」ことが得意だし、求められる。
こうして、言葉にする習慣がないまま大人になっていくわけです。
 
親は、一生懸命子どものことを理解しようとします。
娘が「なんちゃらかんちゃら」を多発して話しても、
先回りして教科書を下読みし、友達のことをしっかり聞いていたら
分かるかもしれない(しないけど)。
でも、親ってほとんどの人にとって二人だけです。
なんちゃらかんちゃら」で伝えても理解しようとするのは、
100年の人生を通して、世界中にたった二人なわけです。
 
人生で関わっていくのが二人だけ、という人間を、私は見たことがありません。
 
この一週間、私がリアルでコミュニケーションした人たちは、
ゆうに30人を超えます。
SNSや電話等も含めると、関わった人は100人ほどになるでしょう。
 
たった一週間を切り取ってみても、
2人しかいない親のウン10倍もの人数の人と関わるんです。
 
このほとんどの人たちが、
私の状況を親や家族ほどは知らないし、考えようともしない。
まして私の価値観など知らないわけです。
 

お互いにほとんど知らない人たちとコミュニケーションしていくのに、
言葉にしないでどうやって伝えるの!?

 
 
娘が育っていく先には、多くの彼女を知らない人たちがいます。
その人たちともコミュニケーションしていく必要があります。
 
その時になって「伝わらない」「話ができない」と泣かなくていいように。
いえ、必ず泣くことはあると思うのだけれども、
少なくとも「なんちゃらかんちゃらでね」と表現して
「伝わらない」と泣くことがないように。
きちんと言葉でコミュニケーションする練習を、
そろそろ始めてもいい頃だと思ったんです。
 
 
たとえば「なんちゃらかんちゃら」「なんか」を禁止して、
具体的に言葉にしても、すぐに伝わるわけではありません。
それも分かった上で、
コミュニケーションというのは、丁寧に、何度も伝えていくことが必要なんだ、
時間のかかるものなのだ、
というのを、思春期に差し掛かった長女に伝えていきたい。
体に染み込ませていきたいです。
 
 
以前の私は、とてもコミュニケーション下手。
人を傷つけ、信頼を失ってきたことも多々。
今からもあるのでしょうけれども…
 
それでも、今自分のコミュニケーションが円滑に回り出した、と実感するのは、
自分が何を感じているのか、ということを丁寧に言葉にしているからです。
そして、相手に合わせて言い方や言葉を変え、
伝える工夫、伝わる工夫をしているから、だと思います。
 
もともと雑なコミュニケーションをしていて
「私のこと分かる人なんて少ないから」と斜に構えていた頃は、
何を言っても伝わりませんでした。
 今は、日ごろから丁寧に言葉を紡いでいるからか、人が耳を傾けてくれます。
伝わらない寂しさと、伝わる喜びを、良く知っているのも私。
 
娘にも、”伝わる”喜びを知ってもらうために、言葉にする練習を。
そのための、「『なんちゃらかんちゃら』禁止令」なのです。
 
 
追伸:
それにしても…今回「なんちゃらかんちゃら」を全て赤の太字にしてみましたが
ウザいですね。
たぶん、親として娘への抵抗です。娘はこれ読まないんだけどな。
 
 
 

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